さくら・・
2021年4月19日
スマホのディスプレー画面で、鮮やかな紫紅の壁紙を見ていると気持ちが明るくなってくる。これは一昨年3月、京都の一条戻橋で撮った早咲きの河津桜であった。
毎年、桜の季節を迎えると隅田川堤、名古屋城や大阪造幣局、京都琵琶湖疎水などを訪ねている。しばらくすると札幌でも咲くことから年2回の花見を楽しんできた。
日本の春は桜から始まり、その移ろいは生活に密着し、着るものや食べるものだけでなく、古来より万葉の和歌、短歌や俳句などで詠まれ文化を育んだ。「桜は生活に彩りを添え、愛され続ける」と桜守で名高い16代佐野藤右衛門さんの言葉にある。
もの心付いての春は、小田原城址公園の桜であり、60数年前の入学式を思い出す。祖母から贈られたピカピカのランドセルを背にし、両手を振りながらお堀に掛かる朱塗りの橋を渡り、晴れ着の母と二の丸跡に建つ小学校の門を潜った。父は仕事着のまま自転車で駆けつけ、石垣の土手や白壁には、さわやかな風に乗った淡桜色の花びらが舞っていた。
成人後は都会での暮らしが長かった。東京には江戸の面影を遺す桜の名所も多く、休日になると先輩や同僚と連れ立ち、上野山や千鳥ヶ淵に繰り出し、桜に浮かぶ東京タワーや高層ビルの絶景も忘れ難い。
歴史好きの私に桜と言えば、浅野内匠頭の切腹や大石内蔵助の祇園一力茶屋の場面が浮かび、花見で賑わう長屋の落語も好きだ。初めて観た歌舞伎で、幕が開き舞台いっぱいに拡がる桜の彩りを観て、芝居に心を奪われたのもこの頃だった。
それから数十年後、北海道で最初の勤務地が帯広市。広大な緑が丘公園の近くに住み、公園が濃紅色に染まると家族の散歩コース。この地で本誌の編集長に知己を得て、綴ることを勧められた。これが30余年前の春であり、今も筆を執らせて貰っている。
昨年来、旅をするのを控えたことから写真集や絵画集で桜を愛で、春を待つ心はずっと変わらない。家の向いには桜の老木があり、枝に小さな蕾がほころび始めるとなおさら春が待ち遠しくなった。桜は人と人を結びこころ和ませ、喜びや思い出を誘いだす。
社会人となり上京する日、紅桜色の駅で見送くる母が、「今日からお前は会社にあずけた子だ」と呟いたひと言・・。 やがて動き始めた車窓から流れゆく駅のホームは霞んでいた。
◎プロフィール
〈このごろ〉CDをストックしたラックの棚が歪み、崩れる前に入れ替える。片付けながら忘れていた音をBGMとして暫くぶりに聴いた。