本を一冊だけ持って行くとしたら
2021年10月11日
人生において様々な出来事がある。その起こる出来事というものは必然にして偶然ではなく、その人に与えられた出来事だとされている。
そういった事柄から派生して、例えば地の果てへでも行くとして一冊だけ本を持って行くとしたらどんな本を持って行くのか、というような話を聞いたことがあるが、いったい人はどんな本を持って行くのだろうか。
哲学的や道徳的なことを説いたのもあって、果たしてそういうものがいいのかどうかは人それぞれであるだろう。むしろ日本書紀や旧・新約聖書など、どうなのかとも思ってみる。
そもそも万象や人は偶然に出来たなどと思えそうだが、そういうことは違うとされている。天地がそして人が出来たそれは実に緻密にして驚愕するほどの超越した世界ではないか。そこに神々が存在しており、すべてを創造されたとされている。というとそれは宗教か? と一笑に付する者が多い。だが、決して唯物史観では通用しないとされている。
驚くべきことに、その神様の直接の教えというものを御使いの者に書かせた文書があるのだった。それは文語体が多くて読みづらいけれど、少しは何とか読めるかもしれない。内容はあらゆることを教え説いているのだが、同時に地球規模の大天変地異が始まるという恐るべきことも書かれてあり、それが真実であることに茫然としてならない。
人類の歴史において、人間の傲慢さ、などを鑑みたとき、そういったものを求めないで何を持って行こうというのだろうか。人間の強欲によって自然界がもうすでに壊れ出して崩壊が始まっているということに気付かないのだろうか。とにかく、あまりにも信じられない話で、ちょっと向き合えない気がしてどうしていいのかわからないといった方が本当のところなのではないか。
しかし眉唾ではない。もっともっと考えなくてはならないことがあるのではないかと思っている。学者や思想家などだとかのような方々が書かれた本が、本当に必要なのかと思えてならない。
そういったことから推し量れば、自分なら間違いなく神の書を一冊持って行く。人類の歴史や知見など到底及ぶべくもなく、かつそれは未曾有のはるかなる超天文学的な世界で厳然たるありようがある気がしてならない。
◎プロフィール
帯広市出身。自営業。文筆家。趣味/映画・街歩き・旅・自然光景鑑賞。著書 銀鈴叢書『札内川の魚人』(銀の鈴社)。銀鈴叢書『歩いてゆく』(銀の鈴社)。