えげつない新語
2021年10月 4日
夜も更けて、録画した『ヒロシのぼっちキャンプ』を見る日がある。自然の画像と、言葉足らずのヒロシのぼそっとした話は、就寝モードに入るにはいい感じの時間を提供してくれる。
ヒロシもアラフィフ。じき五十を迎える彼が、ある時叫んだ。
「うわー、エゲツねー」
何事か、収録にまずい事態が? しかしトラブルらしきものは一切なく、画面に映し出されるのは絶景のみ。集中して見ているわけではないので、最初は聞き流していたが、何度か同様の「エゲツねー」を耳にして、えげつない=すごい・とてもいいという意味で使っていることに気付いた。
これまで私は日常生活で、えげつないという言葉をそう口にしたことはない。本来の意味はそれほど人や物を貶める否定的かつ拒絶的な言葉なのだ。それがいつの間に「やばい」を飛び越えたかの如くその地位を獲得したのか。ネット中心に急速に拡散したのだろうが、一体誰がこういう使い方を始めるのだろう。言い出しっぺは誰だ。常に存在する疑問だ。
国語に関する世論調査というものがあるらしい。先日新聞で読んだ二〇二〇の調査では「めっちゃ」「そっこう」「じみに」は広く浸透しており、他人が使っても気にならない人の割合が六割を超えている、ゆえに定着していると結論づけられた。なるほど。未だに「ら抜き言葉」に違和感を覚える私であっても、意識的にこれらの新語を選択する時が確かにある。主に自分の主張を強調したい場合だ。「そっこう連絡して!」と言えば、一瞬の猶予もないぞという威圧感さえ伝えられる気がする。「まるっと分かる」という表現も、より包括的な感じが伝わるから不思議だ。
言葉は時代と共に変わりゆく。これは今に始まったわけではない。言語の発生以来どの国でもあることだ。
ただし、勘違いしてはならない。出来立ての新語がどれほど浸透しようが、本来の正しい意味と使い方が即座に失われることはない。単にコミュニケーションに広がりと面白味が加味される程度のものでしかない。TPOの使い分けが出来なければ、大事な局面で無駄に自分をランクダウンさせてしまう危険性もはらんでいる。
大事な取引先との商談に、正しい国語を使えない社員を私は連れて行きたくはない。業務報告書が、ら抜きで書かれていれば書き直しを命じるだろう。更にたとえ社内のプレゼンであっても「この商品はめっちゃやばいです」「じみに数字を伸ばしてます」などと言われてはたまらない。会社の沽券にかかわるので人前に出せない人物という烙印を押されても仕方がないだろう。
言葉に敏感であることは素晴らしい。一方言葉の作法も忘れたくはない。
◎プロフィール
さえき あさみ
酒類の提供が再開されたらそっこう生ビールを飲みに行く!