アイヌ人のN君
2021年11月 8日
近年、時代に沿ってアイヌ民族がさまざまに脚光を浴びるようになってきている。民族の多様な文化のありようが紹介されるにつれ、多くの方々が関心を抱きはじめてきているところではないだろうか。宇梶剛士という俳優が世に登場してきた頃、なかなか魅力的な役者で顔立ちが濃い表情をしているなと思ったが、アイヌ人だと知ったのは後のことだった。
小学校の5年生だったかクラスに眼も眉も濃いN君がいた。たいがいみんな彼とは親しく接していたのか、それともむしろ避けているような雰囲気があったのかも知れない。ぼくも正直言ってちょっとどういうふうに接していいのかわからなかった。するとクラスの誰かが
「アイヌ人だから」
と言った。そう聞いて、ぼくは同じ日本人だけれどもどういうものだろうかと思った。第一、担任の先生もそういうことは何も教えてくれなかったように思う。全校で彼のようなタイプの子は他にもいるのかどうか、あまりよくわからなかった。
やがて同じ日本人でも種族が違うということで、つまり同じアメリカ人でもアメリカ人とネイティブアメリカンとの違いがあるということなのだろうと思った。
いつしか彼を見ていると、徐々に印象が違って見えてきたのだった。少し小柄だがしっかりした体格をしており、そしてなんだか静かだけれどどこか堂々として明るく落ち着いた感じもあった。ちょっと話し掛けるとやさしそうな笑顔を見せてくれることがある。ぼくは気分的にはどことなく親しみを感じてはいたが、友達とまではいっていなかった。見た目の問題が気になっていたからなのだろう。自分はなんて嫌な奴なのかと思っていたはずだ。
もしかしてN君は家では親から、
「周囲の子らは冷たく無視したりなどするかも知れないがそんなことは気にしてはいけない」
みたいなことは言われていたのかもわからない。
本当はぼくは耳が少し遠くて友達付き合いも下手だったせいか、彼を見て変な言い方かもしれないが、どことなく微かに似た者同士のような気がしていたのか。
新聞やテレビでアイヌの人たちの涙ぐましい努力や明るい活躍ぶりを見て、ふとN君はその後どんな人生を送っていたのだろうか。あの温和な笑顔は今でもそうなのかなと想う。ときおり、あの頃もっと話してやればよかったのではないかと、子供時代の過ぎてしまったことを振り返るたびに哀しい心地がしてならないのだった。
◎プロフィール
帯広市出身。自営業。文筆家。趣味/映画・街歩き・旅・自然光景鑑賞。著書 銀鈴叢書『札内川の魚人』(銀の鈴社)。銀鈴叢書『歩いてゆく』(銀の鈴社)。