つじつま
2021年12月 6日
書いた文章が活字に組まれた時点で校正作業が行われる。誤字脱字はもちろん、言い回しや前後の整合性など、あらゆるチェックが行われる。私が書いているこのページはわずか千字程度のものなのに、一発で通ることは少ない。特に何度も削除、訂正、段落の置き換えなどをした部分はミスが生じがちだ。それを校正でしっかり完成させるのだが、完璧といえるかどうか自信はない。
頭をまっさらにして、間違いがあるはずだという疑いを持って臨まなければならない。単純なようだが、書き手本人には難しい時がある。目で文字を追っているはずなのに、何度も書き直した箇所は心でいい様に読んでしまう場合があるからだ。担当者がついていているとはいえ、作家にもそれに関わる人々にもただただ尊敬の念を抱かずにいられない。
一年の反省どころか言訳をつらつら述べてしまったが、文章に限らず人の目に晒されるものは何でもチェックが必要だ。映像も然り。今や誰でも録画ができ、再生もスローも拡大も自由にできるので、油断できない。視聴者は気付いてしまう。小さなミスも。
だいぶ前の事で恐縮だが、私が中学生の時観たパニック映画で、ヒロインの爪のマニキュアが数分後消えていたことに気付き、それ以降彼女の爪ばかり気になってしかたなかった。生死を分ける緊迫した状況で、マニキュアを拭きとれる筈がない。彼女のいる場所は墜落寸前の飛行機の中なのだ。
「人は極限状態の時、ありえない行動をするものだ」
弁護士が使う文言だが、まさか。つじつまが合わないと、心に引っかかる。
テレビドラマでたまに見るのは、食事のシーン。三分の一しか残っていなかった器のおかずが、直後の場面で倍に増えていたりする。それまで出ていなかった煮物の湯気が突如出ている。グラスのワインの量がおかしい。撮影時間やカットの回数によって、そういった齟齬が生じるのだろう。ただ私が知りたいのは、役者も監督も現場のスタッフも気付かないのか、気付いたとしても「ま、いいか」なのか、つまり完成した作品の検証はどうなっているのか、そこだ。
「そんな細部に気付いてくれて、作り手にとってこれほど嬉しいことはない」
なんて、はぐらかされて終わるだろうけれど。
そんなことに注意が行ってしまう私だが、間違い探しや「画面のどこが変化したでしょう?」というクイズになると、これが全然解らないから不思議だ。
◎プロフィール
さえき あさみ
Go to eatの食事券を買った。夜景の見える店で静かに食事を楽しみたい。