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エッセイSP(スペシャル)

平等という儚さ

冴木 あさみ

2022年3月 7日

 平等という言葉をよく口にする人がいる。実は障がい福祉の仕事をしている私もそうだ。日頃職員には「利用者への支援は常に平等を考えて」と伝えている。とりわけ聴覚障害者への配慮は十分すぎるほど気を付けている。健聴者と同様に情報が伝わるように。聴覚障碍者に限らず、何らかの障害を持った人達は健常者より不利だと思っている人が多い。だから平等という扱いには特別意識が働くのかもしれない。
 福祉の分野で「平等」という精神が大きな柱にあることは間違いない。けれど、実は誰もが知っているはずだ。平等こそ不公平に存在していることを。生まれた瞬間から残酷にも人は平等ではない。
 数年前ネット界で親ガチャという言葉が生まれ、一気に広まった。どんな親の元に生まれるか、運まかせ。的を得ているとはいえ、実に嫌な言葉だ。逆に子ガチャもあるわけで、人種ガチャ、国ガチャ、いやいや、人間ガチャもあるに違いない。自由に空を舞う鳥とか、森の中でだらりとぶら下がるナマケモノに生まれたかったと思っている人もいるだろう。
 不平等で不利益を被る側は不運で悲しい。いたいけな子供達を見ると、せめて子供の間だけでも、みな等しく衣食住に足りた平穏な生活と学びの場が確保されて欲しいと願う。
 だからといって、徒競走で優劣をつけないために、手をつないで一緒にゴールさせるのは考えが間違っている。事実、生きることは厳しいことなのだ。努力が報われる人もいればそうでない人もいる。平等でないからこそ、様々な人生があり、目標が生まれ、生き甲斐も見つける。反骨精神や逆境は人間を強くし、本領以上の能力を発揮する原動力になることもある。山あり谷ありの人生を笑ったり泣いたりしながら歩くのが人間だと思う。そして、そう思う今の自分は、つまり幸せな状況にあることだと感じている。
 ユニセフの広報を見るたびに、瘦せ細ったこの子らは何のために生まれてきたのかという疑問に苛まれ心が痛む。飢餓や戦争を日常とする国で一生を生きる人は少なくない。食料も水も満足に得られず、教育の機会も与えられずに、どう努力をしたら、何がどう報われるというのだろう。そこに希望を探すことは難しい。
 地球の誕生から四十六億年。その歴史の長さを聖書に置き換えると、最後のページあたりにやっと人類が登場するらしい。人間の痕跡が、ある日一瞬で消滅するのではないかと本当に危惧している。

◎プロフィール

さえき あさみ
都会の中心で雪山を上り下りして通勤したこの冬。それでも必ず春が来る。

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