No.1,517
2022年4月25日
コロナとウクライナ関連ニュースに支配され、2022年も気が付けばゴールディンウィーク。今年も3分の1が経過し、何はともあれ生きていること自体の幸運を噛み締めつつ。
あらためて、この地球と言う『まぁるい星』の表面では、色んな人達が色んな事をして生活を繰り返している。それぞれが、過去の記憶の中に生き思考を繰り返し、やおら衝動を憶え行動に移した結末は様々。ただ、無数の生物の中で人間だけに、進化上『強烈な有意識』を拝命した結果、の悲喜こもごも。「何をやっているのだ!」と啖呵を切って、一瞬場を凍らせる事が出来ても、みんな生命維持本能に沿ってくぐり抜けるだけ。
脅かす方、脅かさせられる方、この力関係は何処に由来しているか?それは他者に依存せず明日を生きていける度合の違い。加えて、生きるって意味の、それぞれ内容の持ち方次第。
正に、ロシアとウクライナとアメリカの3人の大統領と、それぞれに連なる国々の動き。そこに「実を取るか名を取るか?」って事が絡まるから計算通りには行かない。それぞれの頭の中の物語までは、他者には計算が追い付かない。
そこで落とし処を周りがとやかく画策する訳ですが、本当にキレる可能性と天秤にかけての交渉。本来ならば「ズドン!」と行きたいところも、核戦争の結末は人類の結末。第二次大戦以降は、核保有国の良心を前提に時間を過ごしここまでは来た。しかし、露国の平均寿命を超えた大統領にはもはや、怖いものは無い。残された時間に『ソビエト連邦の誇り回帰路線』へと歴史の舵を切った。
幾度も繰り返しますが、「絶対的権力は絶対的に腐敗する」は、言い得ている。バランスなのだろうね、「強権は中道を見誤り自ら破滅へと向かう」可視化出来ぬ法則。
自然の摂理を繰り返し毎年見ながら生きているつもりでも、人間は自然の一部が、理解できない。
「ウクライナさん、一日も早く春が訪れますよう」。