仔犬がきた日
2022年5月30日
私は犬や猫が好きだ。テレビでその類いの番組があると、できるだけ観ている。また、散歩中に犬連れの人と会うと、つい視線が犬に向いてしまう。とくに柴犬の動作やその表情が好きだ。
子どもの頃に犬好きな子は、「犬を飼いたい」と親にせがむことがあったと思う。「世話ができないから無理」と親に反対されることがある。その頃、私はウサギを飼っていた。ウサギは草を与えれば育った。しかし、犬はそんなわけにはゆかない。肉やご飯を食べさせなければ育たない。兄弟が一人ふえるくらいの食費が必要になる。
私が小学3年生の夏休みだった。
玄関先にいると、知らないおじさんが来た。日に焼けた年配の男が、笑顔を向けながら「ここは吉田さんの家ですよね」と言いながら仔犬を腕に抱えていた。私は、小さくうなずいた。その男の人は「君のお母さんに話をして、仔犬を届けることになっていた。これ、かわいいよ」と言った。
突然のことで、うかつに仔犬を受けとっていいのか戸惑った。それにわが家は貧乏な暮らしで犬にご飯を食べさせる余裕などないはずだった。
男は笑顔で「お母さんに話してあるから」と念をおした。「ぼくは犬の世話ができないので、もらえないです」と返事をした。男は「そうか」と言うと引き返していった。
その夜、帰ってきた母に昼間の話をした。母は「職場の人で、小型の犬なので餌代も多くかからないと言うから譲ってもらうことになっていた」と初めて説明した。私は「そんな話は聞いていなかったから、いらないって言ったんだ」と怒気をこめて言った。
欲しいときに、求めないと二度とチャンスは訪れない。家を離れるのが早かった私は、帯広、札幌、帯広と賃貸暮らしをくり返した。締切に追われて残業が多い私の仕事は動物や小鳥を飼うことすら難しかった。
あの時、柴犬を飼っていれば......まるで弟のように可愛がって遊んだはずだ、と思い出すことが何度もあった。
◎プロフィール
●心況(よしだまさかつ)
商業デザイン、コピーライター、取材カメラマン、派遣業務などを遍歴。趣味は読書と映画鑑賞。「モレウ書房」代表。