No.1,521
2022年5月30日
この週で今年も6月に入ります。慌ただしく半年も過ぎ2022年の折り返し月。これほど色々半年で国内外であった年も、少ない気がします。
けれど、以前にも申しましたが下界の情報をシャットアウトし、メディアに一切触れない暮らしをしている人々には、何ら、例年と変化ない時間なのでしょうが。
20年前頃より世に出現した『SNS』ですが、出始めの頃はわりかしミュージシャン仲間が営業目的で取り掛かりだしたるのを、冷ややか横目で眺めていました。いっときは、ホームページやSNSに手をかけてインターネット世界の底知れぬ沼に、人並みに興味もありました。何しろ、未知との遭遇でしたから「これからの世の中と、ドラえもんポケット」を重ね合わせ楽しみと不安心でこの代物を眺めていました。
当初はこっそりと潜り込みつながり〝イイね〟の世界も泳いでみました。
IDと言う名のシュノーケルを咥えブクブク泡音を立てつつも、海面下でゆっくりと両手を拡げ泳ぎ見渡すSNS世界。案外見通しは効いて、地球をくるむ海は全体世界中を見渡せ、何ヘルツなのかは知らないが発した声は世界隅々まですんなり届く。
反応も上々であるが、何しろ知らない人には個々人によって「都合のよい人と悪い人が混在している」現実に行き当たり。これが殊の外厄介である。もう一度言いますが、世の中には色々な人が居る。私にとって貴方にとって都合のよい人も悪い人も。この大海原へ、世界を知らない無防備な軽装のイカダで人々は出立していく。SNSの海原を生きる教育は誰も受けていないにも関わらず人類未知の世界へ軽々と漕ぎ出せてしまう。
それから20年、実に沢山の人々が沢山の使い方で喜怒哀楽を享受して来た。「郵便、電話にまつわる人肌」は元より「生の人肌に対する反応想像の欠如」が痛い。SNSの世界に疲れても、海面から顔を上げて太陽に向き合えない大勢の人達。
都合の悪い人を変える努力の時間はハタシテ、誰にとって有益なのだろう。
「ランナウェイ!」