世界を歩いた男がぼくを見る
2022年6月13日
居酒屋などのテーブル席で人と向かい合って飲食をする。誰しもその光景は料理を食しながら飲み物を片手に楽しく語り合っているだろうし、あるいはそれぞれに何らかの事情だってあるかもしれない。
ところがジャーナリストである50代のS氏と飲んでいると、彼が少し異な雰囲気に見えるのだ。話しをしていると、彼は両腕を下に太腿の辺りにでも手を置きながら、緊張感をともなった大真面目な表情でぼくの顔をジッと見ているのだ。その様子に、
(な、なんなのだ)と思う。
それは、盥に水を入れてやがて静かに溢れ出すみたいにおかしさがこみ上げてくるような感じにも似ている。同時にまた、何事かを言いたそうな、あるいは世界の何かに対して怒りのような色合いが含んでいるふうでもあるのだ。
仕事にも厳しい男でキリッとしてストイックさも感じさせるのだが、それはまたどこかの戦禍でもくぐり抜けて来たとでもいうような疲れた翳りがただよっているふうな表情にも見えてならない。
下手なぼくが何かの話しをしていて、
「そんなこともわからないのですか」
などと言われでもしたら、どうすればいいのかと思う。(この男はいったい何を考えているのか)とでも見られているような気もして、ちょっと落ち着かない。S氏からはそういうようなことが感じられて、ぼくとしては緊張感を抱えてしまうのだが。
彼は予備校時代に作家小田実に出会って影響を受けたらしく、ユーラシア大陸を股にかけて独り旅をした男なのである。世界を視て来て、不条理の大きさと生きてゆくことの苦悩や素晴らしさなどを激しく体感してきたのではないか。
青函連絡船で津軽海峡を渡っただけでガイコクなるところを知らないセカイシラズの小さなニンゲンであるぼくは、いつも彼の大きさに圧倒されているのだった。話の流れで何かの勘違いでギャグなんかを一発ぶちかましたらどういうことになるのかと思うと、足元から地鳴りでも起きそうな気がしておそろしくてならない。
職場でエースと呼ばれている彼は、ときおり葉書に「今度また飲みましょう」と書いて送ってくる。それでぼくは3回ぐらい頭をぐるぐる回して気分をほぐしてからケータイに電話をし、「また行くから飲ろうよ」と返事をするのだった。ぼくは、世界の大きさを識っている彼に寄り掛かっているみたいなところがあるのかな。
都会の雑踏で彼と偶然にもすれ違ったとしたら、ぼくの知らないどこかの国を渡り合った地の匂いのようなものでも感じられてきそうな気がするかも知れない。
◎プロフィール
帯広市出身。自営業。文筆家。趣味/映画・街歩き・旅・自然光景鑑賞。著書 銀鈴叢書『札内川の魚人』(銀の鈴社)。銀鈴叢書『歩いてゆく』(銀の鈴社)。