No.1,523
2022年6月13日
今シーズンの米国メジャーリーグ、注目のエンゼルス大谷翔平選手は成績こそ昨年に及ばずも変わらず投打に奮闘中。
昨年のMLBシーズンは、序盤からバカスカとホームランの雨あられで際立ちすぎたから、今年のプレーは物足りないかもしれないが、それは、昨年中彼のプレーを追いながら想像していた事。こんなに上手い具合に、来年も事が運ぶはずない、と自らを抑制しつつ「今年は特別なのだから投打に渡り記録ずくめを!」と楽しんでいた。
大谷選手は日々自己研さんの人だろうから心配は無用なれど、「上手くいくレベル」の高さが百年に一度クラスとなると、問題意識は読めない。彼に視えているベースボールの世界は視えない、これがプロなのだろう。居酒屋のおじさん評論家レベルが読める世界観であっては、夢の世界に値しない。
例えば年取り肉体がついて来ず引退していく各界の優秀選手へ、旬なる肉体を結合させれば実際いける、「はず」。AIを搭載したロボットがそうだね、ただの優秀なアンドロイド対、血が通う人間の線引きの妙。スポーツ界で『薬物』を人間に注入、細胞を活性化させるのも一つのアンドロイド化。人間の「かけっこ」、速く走る為に試される肉体強化、走法やシューズの先進化、百m走においても百年経っても左程変わるものでもなし。
ベーブルースから百年後の大谷選手、これも取り巻く環境変化を加えてもコップの中の嵐論争。
昨夜、ボクシング三団体王座統一戦、井上尚弥対ノニト・ドネア。過去のボクシング名勝負のアレコレ思い出しつつ、重ね観乍ら時代背景に置けるボクシングの社会的価値の変遷に思いを馳せた。旧き良き「ボクシングドリームの時代」から、現在の「格闘技というより大スポーツイベント」へ。
前夜のサッカー親善試合『ブラジル対日本』を観ていてもグローバル化、地球世界がご近所さんに。
日本人も地球人の意識で臆すること無く肩並べプレー、いよいよ〝人種偏見も過去の話〟への入り口に、我々は居る。