何がどうなろうと
2022年9月 5日
先日珍しく古本ではなく、本屋で新しい本を購入した。『流転の海 読本』。宮本輝著『流転の海』のガイドブックだ。『流転の海』を読破した人も、これから読む人も、読んでいる途中の人も、これがあれば頭を整理しながら読み進むことが出来るだろう。
昨年の夏のある日、職場の人に宮本輝の『流転の海』を読んだことがあるかと聞かれた。彼女は輝さんのファンで、作品の殆どを読んだとのこと。私は『ドナウの旅人』ぐらいしか読んでいない。
「冴木さんならきっとハマるよ」
彼女は私の勤める福祉事業所で昼食の調理を担当してくれている。週三日勤務で、しかも午後の後始末が終われば帰ってしまうため、プライベートな話をする時間も無く、ごく浅い関係でしかない。共に本を読む習慣があるという共通点が、きっと彼女を動かしたのかもしれない。
「全部で九巻貸すから、是非読んでね」
(げげっ、九巻?)どうも逃げ切れない状況。でもまあ、ちょうどコロナ禍で外出を控えていた時期でもあったし、長編もいいかなと思った翌日、私のデスクに一冊の分厚い文庫本が載っていた。この厚み。今後更に八冊やってくるのか...。
『流転の海』は宮本輝の父親の終盤二十年を元に、三十七年をかけて完成した長編大作である。読者からは「一体いつ終わるのだ」と怒る人。「こんなに長くなるなら読み始めるんじゃなかった」と嘆く人。「自分が死ぬ前に完結させてほしい」と切に訴える高齢者。様々な声が届いたらしい。
父がモデルだが、同時に輝氏自身の自叙伝でもある。父の人生はまさに流転の運命に翻弄され転落していく壮絶なものだが、その息子として生きてきた彼の人生もまた小説より奇なりで、その世界にどっぷりはまってしまった。読んでいるその先が早く知りたくて急ぎたいけれど、文章の明快な一行一行をゆっくり味わいたくて、そんなジレンマも楽しい苦痛だった。いつからか、自分も小説の中の彼らを見守る周囲の一人として生きていた。
最終巻の『野の春』を読み終えた時、両目の視力が0・2ずつ落ちた。
暫くして、なぜ私にこの本を勧めてくれたのか改めて聞いてみた。九冊もの長編を、ほぼ強引に勧める心理が知りたかった。彼女曰く「よくわかんない」
世の中何故?と思う事多し。
彼女とは今も仕事の話しかしない仲ではあるが、時々主人公の言葉を引用し鼓舞しあう。
「何がどうなろうと、たいしたとはありゃせん」
転落人生で終えた宮本氏の父は大したことの連続だったが、確かに彼はどんな状況であっても強かった。戦火に巻き込まれない限り、思い一つで道は拓けるはずだ。
◎プロフィール
さえき あさみ
宮本輝を愛読する彼女は、宮本氏を輝さんと呼ぶ。彼女もまた『流転の海』の世界を生きたに違いない。