No.1,538
2022年10月 3日
そして昨日、安倍晋三元総理の『国葬儀』が執り行われました。
元総理が亡くなってから81日目の儀には賛否両論、次第には否が過半数を超える中。国葬肯定派の中から、昨年のコロナ禍東京オリンピック同様「終わってみればやって良かった」との結果になるであろうとの、楽観論に何となく乗っかったまま。
さて、その国際的国内的評価は一先ず置いて、想い返している。この8年9カ月間第二次、長期安倍政権の間幾度も発して来た「絶対的権力は絶対的に腐敗する」を。
ここ20年位、中央政権内の安倍さんは「ついている人だなー!」と何度も思わされる場面があった。1つ上げれば、東日本大震災時、民主党に政権が移行していた事実。あれ程の国難時、誰が国のトップであろうと最善の手を速やかに打ち続ける事は無理であったろう。増して、民主党政権の誕生から1年半でヨチヨチ歩きからの成長を見守っていた処の東日本大震災、そして菅直人総理のヘリコプター原発視察強硬、枝野官房長官連日会見。
あの絶望的日々を経て、政権再奪取後の安倍氏は「悪夢の民主党政権!」のセリフ連発、そして街頭演説時に「安倍止めろ!」との反安倍派への叫びに対し「あんな人達に!」と演説の傲慢場面。
ボクは政治も宗教も、何処へも肩入れはしていません。ただ、距離を置きつ離れつ、時代性や世間の人々の思考と行動を観ている。加えるならば、根底には「強権力には懐疑的視線」そして、「力無き存在へはその理由」、への意識は強いのでしょう。〝力〟は〝カネ〟と言い変えても良い、それらを強く引き寄せる才能が有る人が世の中には存在する。その使い道、まさしく政治家は国民から集めた税金を逆に、振り分け国民へ配る役目。だから権力者には人が群れ、イエスマンが集まって来る。「私にもおこぼれの一つを!」と、そして「裸の王様」が何時の世にも現れる。
自分を振り返っても、どの人を観ていても、人生の帳尻は『プラスマイナスゼロ』になる。