晩秋から初冬
2022年11月14日
朝、窓外を見上げて、そして玄関から出る。
晴れ渡っていた。空はあまりにも透き通っていて高い。その水色の世界はかなりの高さがあって、眺めていると気が遠くなりかけてゆくような気がしてならない。ふうむ、と思う。地上に立っていて真上を見上げると、それはどのくらいの高さなのだろうかなどと思いながら見詰めてしまうのだ。天文学的に考えたら識ることも出来ない彼方へと行ってしまうのだろう...。ともかく空といってもだんだんと下がっていったら地上に着くことになる、というのはなんだかおもしろい話だなという気もする。
母上が出て来た。
「どうしたの...」
「いや、美しい空だなと思ってさ」
彼女は斜め上を見上げて、それから車の往来を見た。
「おまえ、ヒマなのか」
「なにを言ってますか...この世界のありようを観ているんだよ」
それにしても熱い夏が去って静かな秋が来て熟成の色合いを漂わせてきた。振り返れば春が活き活きと動き始めていつしか初夏を迎え、雨降りがつづいたがその後猛暑の日々を過ごしていた。気が付くと夏なのにどこかしら秋の気配が漂いはじめてきているところに、あぁ、夏は去ってゆこうとして準備をしているのだろうという心地がしてきた。寂しさが感じられて何か後悔をしているような思いがしてくる。
季節は地軸と共に空からやって来て地上近くなってゆくに従って顔を現わしてくる。それは自然界の芸術なのだった。頭上から視線を下界に降ろしてゆく。暖かな陽射しがチリチリと弾んできて人々を動かしてゆくような春。太陽がグングンと踊って人間たちを活気にさせて燃えゆくような夏舞台。いつしかスーッと知らぬ間に何かのドラマがはじまって人々に何事かを気付かせようとしているような秋。そして雪や氷の厳しき世界の中で自然を人生を考えさせようとして広がってゆくような冬。それぞれに強力な彩りと説得力がある。
ぼくにとっては四季を通して、とりわけ晩秋から初冬にかけての時期は自然界の大いなる知と思えてならない。その世界は、春から夏そして秋へと賑わしい日々を生きて、疲れて、穢れや濁りが漂う人間達を浄化して真っ直ぐに存在させようとしているのかも知れない。まるで崇高にして遙かなる悠遠の世界感を感じさせられ、圧倒されてならない。それによって世界は、歴史も時間も距離も遥か彼方へと広がってゆくのだろう。大地に立って途方もない世界に為すすべもなくなってゆくしかないのだった。
◎プロフィール
帯広市出身。自営業。文筆家。趣味/映画・街歩き・旅・自然光景鑑賞。著書 銀鈴叢書『札内川の魚人』(銀の鈴社)。銀鈴叢書『歩いてゆく』(銀の鈴社)。