返上・・
2022年12月19日
就職先が決まった18歳の夏、車の運転免許が必要とのことから教習所に通い、昭和42年9月25日に免許証を手にした。
昭和40年代の日本経済は上向きで、世の中が明るく会社も活気に満ち、中でも営業部門は花形であった。だが入社して直ぐに配属されるのではなく、初めは倉庫係や配達業務に携わる。当時、会社のイメージカラーがピンク色だった。そのため営業車から配送車までもピンク一色で、通称〝ピンクカー〟と呼ばれ、颯爽と車で営業活動に向かう先輩たちを目にするたび、「何れ乗る日があるのだろうか」と密かに憧れていた。
やがて営業部に配属され念願の車に乗る日、上司から「車の色が目立つのでスピードは慎み、安全運転を心掛けるように」と注意を受けた。その後、車体は白色に変わっても、後部には確りと社名が書かれてあり、気を付けてハンドルを握る。
マイカーを持った時、いつも横に乗り込んで来るクルマ好きの息子から、「パパは運転が上手いね」と言われ誇らしく思ったものだ。後に彼も運転免許を取り、大学では自動車経済産業を探究してきたこともあり、買い換える際の車選びや車検とメンテナンスは、全て彼に任せるようになった。
いま連日のように高齢者の運転事故が云々されている。まだ腕に自信はあるものの、助手席に座った息子からすると、どこかしら心許なさを感じてきたようだ。昨年の更新時には、自動車教習所で高齢者のコース実習を受け、次は3年後の後期高齢者講習がやって来る。
直近のニュースで、車の維持費を年間20万円程度と換算し、タクシーを1回750円で利用すると250回近く乗れるとあった。幸い住まいが街の中心部に近く、交通網にも恵まれたことから、思い切って運転免許の返納を決めた。
この返納とは、免許証や証明書を取り消す法律上の言葉だそうで、一般的には返却や返還、へりくだった敬語表現の返上が使われる事もある。
令和4年10月25日、警察署におもむき〝55年1ヵ月〟に及ぶ運転経歴に敬意込め、返上の手続きをしてきた。
◎プロフィール
〈このごろ〉隣の駐車場から大きめのキタキツネが一匹顔を出す。数日後、向いの畑で小さな二匹が遊んでいる。街に出てくるとはいったいどこから。