No.1,550
2022年12月26日
さて、後世から顧みても『激動』と申しても過言ではなかろう、2022年から2023年へと跨ぐ合併号。
3年に亘るコロナウィルス蔓延対策で、てんやわんやの地球号。ロシアによるウクライナ侵攻。国内では安倍元総理銃撃事件。2022年の最後には、4年に一度のサッカーW杯カタール大会。開幕以前は想像していなかった大盛り上がりで日本代表善戦。そして、メッシ率いるアルゼンチンが優勝。世界サポーター納得で絵に描いた様なハッピーエンド的閉幕。
『スポーツの力』でしたね、幾ら各国の政財界リーダーが集い、未来展望有りげな声明を発しょうとも、90分内の『1発のシュート』には敵わなかった。普段より幾らコンピューター内で人々、数多の疑似ゲームを体験していようと実技には敵わなかった。観客数の頭の中に在るだけの筋書を超える現実が意味を持った、『筋書きのないドラマ』に救い感じ。この世の人々の数だけ、それぞれに悲喜こもごもが存在しては日々繰り返し生まれ育ち、やがて死んでいく。
人類1人ひとりの意識、頭の中の物語の不思議を物心ついた頃より考えている。事ある毎に「何で?」って子供の頃より両親や周りの大人に問うては、怪訝そうな反応の中を変わらず生きて来た。それでも思春期の頃、ホルモンの誘導に引きずられ東京へ出て、一人住まいをして心の赴くままに恋をし、アルバイトをし、歌を作り歌い、日本のド真ん中で生活して納得の上で十勝帯広に戻ってきた。
あの20代の輝く年月には感謝しか、ない。当時東京バブル真っ只中、渋谷と銀座を拠点に過ごした濃厚で完璧な時間、もはやボクの人生は完結感に満ちてしまっていた。
その後の帯広の人生は、経験と知識を加えつつ「どうして?なぜ?」への集大成への暮らしだった。それこそ、この1550回の『わかっちゃいるけどスピーキング』、は生きて来た証しだね。
さあ2023年『人生総仕上げに取り掛かる所存』であります。