ドクターカジタ
2022年12月12日
大病院はどこもいつも満員である。その光景を見ているだけで鬱陶しさを覚えてしまうが、自分もその一人にはちがいない。人は年齢が進むに従って、身体のあちこちに不調を覚えてくることが多くなってゆくのは仕方がないことでもあるだろう。遠い昔は人生50年とかの時代もあったが、現代はその倍の100年時代に突入している。不調があれば、せっせと体調を整えるべく病院へ行くことになる人も多くなってきているのだろう。それにしても医学は発達していると言われているが、どうしてこんなにも患者が増えてきているのだろうかと思う。矛盾だらけな気もしているのだ。何かがおかしいし間違っているということにもなるのではないかという気がする。
ある日、朝早くドコノクリニックへ行った。診察開始前に行ったがすでに混み始めている。受付してソファに凭れた瞬間に、ハアーッと深い溜息が出た。しかし座り心地が気になる。ちゃんと座れば背凭れの位置案配が良くなく、背の位置を正すと脚の辺りがしっくりしない。なかなか落ち着いて座るなどということにはならない。製作側はいったいどういう観点でこういう椅子を作ったのかなと思う。病院によっては座り心地が良い所もあるのかも知れないが。
もうすぐ診察開始だなと周囲を見廻したら、ああっ...すごいな、と思った。ぼくがお世話になっているドクターが現れた。
そのありようというか存在感からして他の医者達とは全く違うではないか。彼は白衣なのだ。昔の医者や学校の理科の先生等が着ていた膝下までの長さのアレだ。伝統でありクラシックでもあってとてもいい感じがしている。そして時に裾の辺りが翻るところもいい。まさに先生はそういうスタイルで現れた。片手に革のカバンを提げ、さらになのだがもう片方の手にはなんでなのかトートバッグを提げている...。いったい何が入っているのかなとも思う。なんだかちょっとおかしみも感じられてしまうのだけれど、とにかくそういったようなスタイルと存在との世界感がとてもいいではないか。その現れ方は、(あ、◯◯先生が来た)なんていうようなそんなんではない。なんというかセンセーショナルで強烈な感じがしてならない。
それは「ドクターカジタ登場!」なのだった。いいムードを感じさせてならない。真直ぐ前を見ながら毅然として診察室へ向かってゆく。何よりも先生は誠実で説得力がある診察振りなのだ。魅力的で良い先生に巡り合えたなと思っている。ぼくはつい立ち上がって、「おはようございます!」とはっきりした声で挨拶した。周囲の患者さんたちがいっせいにこちらを見た。
◎プロフィール
帯広市出身。自営業。文筆家。趣味/映画・街歩き・旅・自然光景鑑賞。著書 銀鈴叢書『札内川の魚人』(銀の鈴社)。銀鈴叢書『歩いてゆく』(銀の鈴社)。