No.1,552
2023年1月23日
この1月でコロナ感染騒動勃発から丸三年経ちました。
三年前の今頃『マスク』が店頭から品切れ、SNS上でどこそこのドラッグストアーに入荷していたとかの情報なんかに踊らされ。実際にボクも試しに、キッチンペーパーと輪ゴムで作ったりしていたよ。ヒドク以前の様にも感じるが、あれから人々の様々な習慣が変わったね。
個人的には『夜のネオン』目がけ、夜な夜な徘徊的に飲み歌い歩いていた日々が消失。そんな一日〆のルーティーンが消えた暮らしに当初、腰が落ち着かない感有りも、コロナウイルスとやらの恐怖報道に日夜煽られ。この三年、メディアに接するたび感染対策と外出時の行動制限に自らを縛り、それぞれ対応して来たね。
『人間』っていうのは思っていたよりも皆、柔軟に規則的に変われる生き物、と半ば離れた視点で見ていた。離れた視点に居られたのは、ボクが一人暮らしで、仕事も人と距離を詰め接する機会がたまさか無い立ち位置だから。この年月実際にマスクをした回数は何度か病院に行った時位で、三年前に購入した50枚入りも余裕で残っています。ワクチンも一度も打っていないけれど、この件は周囲の人々に話すと割と同じくする人が居るのは意外な感想。ただ、一昨年に内蔵系で一週間入院手術をする予定が、コロナ院内蔓延で三カ月延びた経験が。延期出来た手術でしたから重い病ではなかった証しですが、それから体質変わり10㎏以上体重が減ったまま。
話を戻し、コロナ感染回避生活でボクの感覚が変わったひとつが、スマホに捕われる率激減かな。元々、ゲームもSNSもしないのですが、その手前の『電話とメール』への依存が消え。
と言うのは、コロナ以前は「電話とメールで日々誰かと何処かと繋がっている」を必要としていた意識があったのだね、無意識化で。今は、日々スマホ着信チェックから卒業し、快適で楽ちん。連絡しないと来なくなる法則を君はどう捉えるか?
執着と自由の境界線の風景、それは突然やって来る。