除夜の鐘
2023年1月16日
「昨年は大河ドラマで街も賑わったことでしょう? そういえば、養老孟司先生のお住まいも確か...」
「ええ、駅で何度かお見掛けしたことがありますよ」
鎌倉から来たという中年のご夫婦が答えた。話すたびにめがねが曇るのが鬱陶しいようだ。
「北海道は私達も好きで、何度か旅行してますよ」と、私への心遣いもしてくれる。
旅先での一期一会の縁。
ここは京都東山の智積院の境内。時は令和五年元日の午前零時半。私は突如除夜の鐘を突こうと思い立ち、京都駅近くのホテルから一人歩いてきたのだ。ホテルを出たのは十一時過ぎ。徒歩で二十分もあれば智積院に辿り着く。
大晦日の深夜は予想外に人影が少なく、途中何度も引き返そうかと足が止まりかけた。でも二度目の年越しそばを食べた直後で、ほてった体は歩きたい気分でいっぱいだった。
薄暗い門から境内を奥に進むと、ほのかな明かりに照らされた鐘楼には既に静寂たる長い列ができていた。境内における礼儀なのか、コロナ禍におけるモラルなのか、百数十人以上の黒い影が整然と黙して並ぶ光景はなんとも厳かである。私の前には鎌倉からの旅行者のご夫婦が立っていた。
「何時から始まるのでしょうね」
奥様が気さくに話しかけてくれたのをきっかけに話が弾み、たわいのない静かな会話は、冷えていく身体から気をそらすのにどれほど役に立ったことか。
十人ほどの僧侶が一列に並び、寺から広場に出てきた。お経を唱えながら護摩をたく。橙色の無数の炎が、くるくると円を描きながら漆黒の空へと昇っては消えていく。
「魂みたいですね。見たことはないけど」
思わずつぶやいたら、奥様が「分かります。おっしゃりたい気持ちが分かります」と視線を夜空に向けたままで答えてくれた。
一連の儀式が終わり、長い列は少しずつ移動を始めた。代わる代わる打たれる鐘は違った音色を響かせる。鐘楼に上る前、練香を両手に擦り込みお清めをする。古式ゆかしき香りに包まれる。ご一緒しましょうという奥様の心遣いで三人一緒に突くことに。鐘楼から垂れ下がるひもはちょうど三本。呼吸を合わせ一発勝負だ。ごぉぉぉん。よし、いい響き。
僧侶からお札を頂き、今年最初の仕事を無事努めたという気がした。
ご夫婦と別れ歩く帰路、冷えて感覚の薄れた足を前に進めながら、バケットリストという言葉を思いついた。やりたいことを文字にして、一つ一つクリアしていけたらさぞ楽しいだろう。重要なのは札幌に帰ったとたん忘れないことだ。一行目は何を書こう。
こんなにうきうきと晴れやかな年明けは初めての気がする。
◎プロフィール
冬の京都もいい。雪道じゃないだけで足取りは軽く自由になった気がする。