極寒の日々にて
2023年2月13日
自分はそれなりに人口密集している16万人近い帯広に住んでいる。極寒の冬は重苦しさもあり、反対に夏は短いけれどかなりの暑さでもある。北海道にあって十勝は特別の地なのだ。夏の田園ロケーションは、小麦や大豆や小豆あるいはジャガイモなどの花が鈴なりになって溢れている。その光景は日本農業における穀物ステージとして展開しており、そしてそれは青い空の下で金色や緑などの光に耀く大地なのだった。広がりを見せている十勝には美しい夏の心地良さがあるからこそ満足している。
その反動として極寒の冬には耐えることが出来ているつもりであっても、いい年しているのに人間としての難しさやどうしようもなさとかなどがあって、揺さぶられている日々を送っている。それって青春の悩みなのかと嗤われそうだが。ふつうは人生もある程度に来たらシリョブンベツがあってキョーヨーもあってそれなりに物事を理解しているのだろうと思うのだが、そんなんではないのだ。ぼくはやはりフツーとはちがうらしいな...どうちがうのか。
マイナス20度の強烈な寒さにあって、夜の街へ向かって歩いている。出掛けないほうがいいのにと思っていても脚が向かってゆくのだが、これはあんがい異常なことではないだろうかという気もどこかにある。同時に、いや、こういう極寒の夜だからこそ寒風の中を凛とした心構えで歩いてゆくことは立派なことではないかと、自分に対して痛く感心してならないのだ。なるほど、万象というものにありがたい思いがあって、どこかしら対峙してゆこうとしているのではないのかと思えてならない。ふだんいい加減であっても、考古学上、人が誕生して800万年くらい経っているとかされているなかにあって生命や自然界の何たるかと繋がっているからなのだろうと思えてならないのだった。それはやっぱりコーショウなことではないのかなと思ってみるが、いや、オレにはそんなことなんてないんではないのかな、と思い直すケンキョサもあるはずなのだが。
遠くに街のネオンが見えてきた。オォ、これから自分の時間をビールと肴で過ごすのだ。風が緩急に吹き付けてくる。つッ...冷たい! 吹きつける風からは、かつて人間界で生きてきた人々の思いや会話やそして怒りとか悲しみやあるいは嬉しかったことなどが、ゴーッとかザーッとかヒューッとかなど風の言葉となって聞こえているような気がしてならないと思えるところがあるのだった。たまらないな...。
明日の自分はまた何をしているのだろうか。今日と同じなんだべか...。身体がギュツと固まりながらして前へ歩いているのだった。
◎プロフィール
帯広市出身。自営業。文筆家。趣味/映画・街歩き・旅・自然光景鑑賞。著書 銀鈴叢書『札内川の魚人』(銀の鈴社)。銀鈴叢書『歩いてゆく』(銀の鈴社)。