No.1,560
2023年3月20日
大盛り上がりの「WBC世界野球大会」を観ていると、自らの野球少年時代をどうしても想い出す。
幼稚園の頃は自宅側の銀行駐車場、小中学校時代は校庭グラウンド、高校時代は河川敷グラウンド。毎日毎日、自転車のスポークにボール挟み、後輪横にバット差し込み、授業が終わると日が暮れる迄仲間とボールを追っていた。帰宅の合図は、夕日が落ち陽が陰りボールが見えづらくなる頃合い。あの頃は各々が時計を所持せず、お腹が空き家晩御飯へと導かれ帰っていた。
高校の野球部を去る迄、どれだけの数ボールを投げ受け、バットを振っていた事か。生れてから18年間は、野球が中心の生活でした。家に帰っては当然に巨人軍のテレビ中継、終了後はラジオで結果を追う日々。
それから上京してからは少しずつ、野球から離れ。それでも新聞の勧誘人に、後楽園球場の巨人戦入場券をもらったりして生観戦していた。
当時、桑田投手が全盛期の頃で、彼が先発の時には相手打線がまるで打てず、巨人が勝つも早々試合終わり物足りなかった記憶強く。当時は「日本ハム」も、後楽園球場を本拠地にしていたから、巨人戦前時間の「デーゲーム」で試合。そこではお客さん閑古鳥、それが普通のパリーグ不遇時代を知る者とし現在のセリーグ凌ぐ実力と人気は、隔世の感。
面白いね、「時代変われば常識が変わる」、「歴史を知れば未来への展望が変わる」。しかし、人間一人に与えられた時間には限りがある。何時までも世の中の変化を観ていたいが、解りかけた頃に潮時が来る。人、一人の人生、地域町村、国に世界情勢、この流れを俯瞰する意識を体得した頃には、長老的思考法を得た頃には「自我」は引き換えに消え去っている。これからの時代はインターネットへ「目的」を問えば、思考法を飛び越えて「答え」を差し出される。
続くこの先、新時代での人間の「意識と行動の変容振り」へはシンプルに興味深い。が、ソコまでの時間の余裕は頂けない、けれどね。