No.1,562
2023年4月 3日
ストーブに頼り切った暮らしの日々も一段落、太陽さんポカポカで4月迎え。
新学期新年度始まりました、欧米なんかでは9月が新年度もこの時期が打って付け。もっとも、春夏秋冬季節の移ろいが無い地形では、左程に感慨深くはならないでしょうが。「地球温暖化」が叫ばれて久しいが、確かにここ日本列島もボクが生まれてからの数十年来でさえ、実感している。
そこで思い浮かべるのは、世界の大陸の遥か古よりの移動絵図。広く長く俯瞰しての気候変動に、干ばつと洪水の歴史。それに寄り添い移動し、食物を求めての生き物達の大移動。
我々は、どうしても現在の世界地図の「五大陸姿」が、完成最終形として受け止めがち。そして、ここ数十年間平均気温上昇の数字を見て、一喜一憂しては「SDGs」とか言われて指針にされる。内容を視れば当たり前の事を言っているだけ、殊更何か目新しい事を掲げている訳では無い。
どれだけ前だったろうか、時の首相が声高得意満面に「これからの時代はIT化だ、グローバル化だ!」って新時代に胸を躍らせ揚々とする姿を画面越しに観たのは。それを見聞きした人々は、何か解からぬが漠然と未来に期待したのは事実。
確かにインターネットは世界中の情報を瞬時に網羅し得た、特権階級のみならず市井の人々へ。日本では「失われた20年、プラスアルファ」の時代であり、高度経済成長時とは逆に停滞の先に希望が見いだせない年月だった。それは現在にも続き、「少子高齢化」の暗く長い雲が日本列島を包んでいる。
賃金が上がらないが、物価も上がらずに最低限の生活が脅かされる事態にはなっていない。「国債と言う魔法の杖」による国の借金が年々積み上がるも、外国依存していないから大丈夫、と言われ続け。しかしも、現在から将来にわたる年代人は、先人のこさえた借金に背負う生活負担に、腹の中は不満渦巻く。惜しむは、令和生まれが辿り着けるであろう、「22世紀世界模様」を視られない事。