身に付けること
2023年4月10日
作家のT氏にお会いしたとき、彼は歩きながら自意識過剰な声で言った。
「親からもらったこの立派な身体に、安物の服なんか着せたくないな」
ぼくの耳に入ったそれはまさに正鵠を得た言葉であることに驚いてしまい、深く感じ入った。
科学の世界では人のことを「動物」などと言っているざまに呆れ返っている思いがするのだが、T氏の言には人というものの尊厳と知性が感じられることに改めて敬意を表するほかないのだった。
人は知識や教養に沿ってのありようというものがあるのだが、そういうものがなければどうでもいいということになってしまう。T氏を見ていると、スーツやシャツや靴あるいはサングラスにしても、一つひとつにおいてそれは自分にとってはどういう生き方をしてゆくのかというようなことが内在していることで身に付けられているということが感じられてならない。従って作家としての世界というものを持っておられるために、こちらからそう簡単においそれと接したりなどということには憚りがある。
靴というもの、例えば革靴などちょっとぐらい汚れても平気な人がいらっしゃる。そうは思ってもやはり手入れはしたいものだ。汚れは拭き取ればいいだろう。 それに見苦しいなと思うのは踵が擦り減ったままの靴を穿いているというのは如何なものかと思ってしまう。5ミリも減っていたら見っともない気がしてならない。ぼくなど3ミリも減っていたら気になって仕方がなく、修理に出して踵を張り替えてもらうことがあるのだ。
擦り減っている靴を履いているというのは、人は地上で生きているのだが、どこか身体が大地に対して傾いているような気がしてなんだか妙な感もしてしまうのだ...。つまり大地に立つにあたって、そこのところの問題はちゃんと補正して人生を生きてゆかなくてはならないと思うのだが。飛躍しているつもりはないが殊更に靴というものは重要なものである。
履物が作られて進化し、さまざまな靴が登場して世界を歩くことが出来るようになり、人類は数え切れないほど多くの歴史を紡いできたのだった。
服装というものを身に付けるということ。スーツ、コート、シューズ、ブルゾン、セーター、ウィンドブレーカー、バッグ等々...その方の生き方に深い関わりがあるのだ。ビリッとしてゆくことは大事なことなのだ。世の中には、礼儀作法は大事ですといったらそんなものはカッコだけだとかいう人もいるが、もちろん中身が無いでは話にもならない。
と、いろいろ自分にも言い聞かせているのだ...。
◎プロフィール
帯広市出身。自営業。文筆家。趣味/映画・街歩き・旅・自然光景鑑賞。著書 銀鈴叢書『札内川の魚人』(銀の鈴社)。銀鈴叢書『歩いてゆく』(銀の鈴社)。