No.1,584
2023年9月18日
昨今、世間のワイドショーネタは既に新型コロナウイルスから取って代わり、アレコレ。
コロナ禍騒動を振り返り、総括する気配はまだまだ見当たりませんが、3年近くに渡り、あれだけ右を見ても左を見てもこの話ばかりで、社会が動いていたのに。一体あの騒動は何だったのだろうか?と。それでも新聞の片隅に第9波が現在も進行中とか、見かけますが。
ボク自身に関しては、極めて特例的対応を実行し続けた。マスクはこの3年余りの間にも、使用した枚数と回数は月に一度程度でした。それは病院に出かけた時がほぼすべて。そして、予防の注射は一度もしませんでした。それらの根拠は、その間は徹底して人との接近を避けていた故に。結構、買い物には出ていましたが、マスクしていない人は流石に他に居ない日々でした。
その後、今年の春から一般的認識として解除されてからは、逆にマスクをしていない人たちの顔を見ることに違和感がありましたね。皆もそうだと思いますが、視てはいけないものを視てしまった感覚。〝慣れ〟っていうのを沢山、我々は身近に日々過ごしているものであり、それを〝環境適応〟と呼ぶのでしょう。
さて、世間で今現在注目集めるは、J芸能事務所前代表事件。先日も4時間の記者会見中継を観ていましたが、既に亡くなってしまっている人の始末ですから難題でしょう。先まで同じように、毎日マスコミなんかで取り上げられていた宗教2世問題も然り。もっと遡れば北朝鮮拉致問題であるとか、何処でどの様に折り合いをつけるべきなのか。弁護士の専門分野としての仕事なのでしょうが、そこに政治的力が決着を如何に絡め収束させるか。
世の中の常として最終的には「金銭で」と言われ、人の恨みつらみも緩和させ代行させるのが当たり前となり、これは原始時代より食料、羊や牛に鳥とかの数量を被害相当分交渉して代物弁済。現在の自動車保険にまつわる事件なども、結局は金銭目当て。惑わされずに、『自給自足の生活が成り立つ笑顔の社会』を想うだけは〝無料〟。