No.1,586
2023年10月 2日
今度はイトーヨーカドー帯広店、来年閉店の一報が。
今年の藤丸閉店に継ぎ発表された、長崎屋帯広店の仕舞い経過の中。振り返ると、先ず藤丸は現在の前の店舗西2条9丁目、現在は空き地になっている処での店舗。そこにはボクの身内もテナントで出店していたり、幾人もの知人が働いていて、とてもとても小学生以降の想い出が多々鮮明に残っています。
特に中学・高校時代、年末の大盛り上がり、買い物客の人出が山の様な時代の話。一階の表玄関で『お正月のしめ飾り』販売の売り子アルバイトをしていました。経営は親族故に、毎年々末に学校の友達を数人誘っては途切れの無い奥様方を中心としたお客様に対応。表玄関で屋根こそ有るものの、外気の中で平台と呼ばれる商品を陳列する台5つ位に、神棚や車、玄関に飾る多種品。その一つ一つの商品の値段を先ず、覚える事から始まる。そして、あの頃は現代の様な便利なレジ袋は存在していません。全ての商品を『藤丸の包装紙』で包み、テープを張り付けていくが不格好な出来栄えで、恐縮至極状態。
金額は電卓で計算して(人により算盤ですね。モチロン現代の様にバーコード読み取りなんて手段は存在していません)清算しつつ。『藤丸の紙袋』も有るには有りましたが、お客さんは皆さん自前の買い物カゴに袋持参で(時には風呂敷も普通に)持ち帰りいただいた。クリスマス商戦時期から大晦日にかけては、とにかく沢山の人出でお祭り状態だった。
帯広駅前から北に向かった商店街は「人人人」、の時代。『社会鍋』って言って、軍服の様な姿でトランペット吹いて慈善事業募金を集める救世軍の一行も毎年近くに。
当時の年末は今より気温が低く雪も度々吹きすさび、寒い中でのアルバイトでしたが、今となっては夢のような藤丸での時間。藤丸ビルの社食での食事、店員さん方との触れ合い、そして一般客相手の商い習い。
みんな一生懸命元気に働き生活し、そこが目に見えて実に良い時代の経験でした。