No.1,592
2023年11月13日
世の中は少なからず、「出来レース」と云われるものが水面下で進み、やがて水面に姿を現し物事を進める。しかし、その中には「納得出来る出来レース」と「納得いかない出来レース」が存在する。
社会の仕組みは、思い付きで工作をして結果を待つ。丁と出るか、半と出るかの連続だ。エサを撒き仕込んでは、釣り糸を垂れてじっと針に獲物が引っ掛かるのをワクワクしながら待つ。商売も博打もみんな一緒だ。或るものは生活をかけ、或るものは承認欲求をかけ。
「ああすればコウナル」の例えは必然ではあるが、それには専門的な知識と大局的観点、そして運も大きな要素だ。必ず思い通りに進み結果を連れて来るシステムを組むには、その時々における時代の要素が大きい。だから「先見の明」と云われるものがもてはやされ、あくまでも結果的に事後数年、数十年を経てから賞賛される人々が出現し、延々と伝記伝承される。簡単に言うと「金儲けの上手い人」、「技術を残し多数多年に渡り恩恵残す人」。
発想と言うモノは、結果から逆算して手始める人と、芸術家的にヒラメきの結果によるものとが有ります。商売人は前者であり、芸術家は後者であり然るに芸術なんてものは死後数十経ての評価を前提にキャンバスや原稿、五線譜に向かうケースが多々。
「アーティストなんて日々飯が食えないから」と言われ、昔から資産家のタニマチが囲っていた世界は知られるところ。現在は、インターネットでそれぞれ自己主張し、それら原石のダイヤを多くの投資家が目を光らせて青田買い、が一般にはなりましたが。人生は〝釣る〟か〝釣られるか〟の世界であり、原始の時代から道具は変わったが、本質は同じ。
そして〝戦争は究極のソレ〟であり、何の為に人を殺し、土地の搾取に人身のコントロールをするのかと言えば、それは権力者のそれぞれの脳に渦巻くストーリーを絶対正義とした行いであり、人格障害とも分類され得る判断。しかし歴史が証明していますが、大多数のホモサピエンスはソコに抗えはしない。