「 は げ 天 」
2024年1月22日
自分は料理などたいして出来ないし、下手なのだ。せいぜい味噌汁と卵焼きぐらいか。時に外で食事をしたいなとも思う。時には高齢の母上を連れて行かなくては、どこがいいかなとちょっと考えてそして尋ねる。
「お昼だから何が食べたい? どこへ行こうか...」
「なんでもいい、ちょっとしか食べられないから...」
年を取ると食が細くなってゆくのはしょうがない。カレーが食べたいとかもよくいう。簡単だがしかしぼくは気に入らない。ラードや小麦粉などが入っているタイプのカレーにはちょっと抵抗感がある。スパイスカレーみたいにサラサラとしているルーがいちばんいいな。すると彼女は、
「天丼食べたい」
といった。そうか、それ行こう。母上はいつも小天丼である。
昔、ぼくが東京にいた頃、三大名物といえば鮨・天麩羅・トンカツといわれていたのではなかったかな。安い給料ではそうちょくちょく食べに行けるわけではないが。新宿の伊勢丹デパートを曲がったところの「つな八新宿店」へたまに行っては天丼を食べていた。名店の店でもありうまさに感じ入り、いっぱしに通ぶっていてはずかしい。とにかく鮨やトンカツなどともに良き思い出でもあった。
天麩羅というものたいがい老若男女皆好きなのだ。帯広にも店はどこそこにとあるだろう。ランチタイムともなれば愉しくいただく光景はふわりとした情景にあたたかさも感じられる。ま、ぼくはといえば「はげ天」へ行く。店名が強烈ですごいなと思うけれど、初代は髪がなかったことでそれを店名にしちゃったらしい。現在の三代目社長、矢野整氏はそれとは違う風貌をしているが、そしてかつて銀座で修業されていた彼はつとに名高い料理人〈道場六三郎〉の弟子でもある。
天丼が運ばれてきた。目の前に置かれたそれをつかの間眺めてしまう。他で見かけるこれ見よがしに揚げているかのようなのとは違うありようがあるのではないか。
それぞれの天麩羅。海老・舞茸・鮭・真烏賊など、海と大地の雰囲気もあるし、海老天の出来具合もパリッ、ガラガラッ、パッ、とでもしているような感じはどこか歌舞伎の世界みたいでもあり、そしてそれ以上に帯広十勝や北海道の土壌的風土にどこか似ているふうな揚がり方に感じられてしまう。さらに秘伝とされている初代からのタレの旨さにも自然と納得してしまうほかない。なんだかどこか哲学的ではないかと思えてならないのだった。
また機を見て一人で行こう。カウンターで、北海道の冷酒とともにお好みのネタを頂きながらゆっくりと飲りたい。はげ天の天麩羅のありようから、東京や帯広十勝のことを考えてみることは興味深いことでもあるだろう。
◎プロフィール
帯広市出身。自営業。文筆家。趣味/映画・街歩き・旅・自然光景鑑賞。著書 銀鈴叢書『札内川の魚人』(銀の鈴社)。銀鈴叢書『歩いてゆく』(銀の鈴社)。