No.1,604
2024年2月19日
昨今は著名なる音楽家諸先輩、多々訃報に接しては、時代の変遷と現実を思う。或る程度天命を全うされた方々へは、『誠にお疲れ様でした』と。そして、平均寿命からして早すぎるお別れには、何とも言えない寂しさを憶えます。
各人が自我を持ち始めた頃合に、時代を先導席巻していた方々の訃報は堪える。なぜならば、その時代が私達個々人の深層に強く影響与え、その後の人生を支配さえし続けて来た存在だったから。「三つ子の魂百まで」の諺は、これ迄長く生き、沢山の人々を観て来て、実に言い得ていると結論する。
子供の頃に置かれた環境、その枠内の慣習に思考が苛立ち、齢を重ねる度に紆余曲折は在っても『一貫した人格形成に至る』と視える。あっちに寄り道、こっちに寄り道しつつも、根本的に育まれた動物的欲求は生涯に至り根差しているもの。だから、「他人は変えられない、十人十色」と、昨今人々は多様性などと気づき、周りがソコに合わせる事から、過ぎては政策に至る。
〝子供の教育〟世界の歴史はこれこそが、国の向きを思うがままに突破する武器であると気づく。〝教育と洗脳〟これは難しい線引きであって、未だに白黒つけられる問題では無いけれど。第一に、何が正義で何が邪悪であるかの判断には前提が存在しない。右には右の、左には左の正義と言い分が存在する。生を授かりし時代の、そして自らが産れ育った環境や位置によって正義は右にも左にも、さらに言えば、時々の飯のタネによっても支配される。
そんな人間の生き延びる原理ですが、その中でも人により「あの時のあの事が私を決定づけた!」と言う場面を心に持っているはず。だから、文学が、音楽が、芸術が、人それぞれに強く意味を持って訴えかけてくるのだろう。原理原則はやはり飯のタネだ。「貧すれば鈍する」の言葉は紛れもなく本当の事だ。
だから政治なのだ、『資本主義か共産主義か?』|が、しかしここまで言っておきながら忘れられない共通項の民衆の心がある。人が生きるための大切な言葉「ご飯食べたかい?」のあいさつ。