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エッセイSP(スペシャル)

わたしの仕事

吉田 政勝

2024年2月26日

 イラストや文も書いてきたが、主に広告デザインを生業(なりわい)としてきた。自分の来しかたを振り返ってみると、やはり幼児期から絵本や漫画に親しんでいたからと思い返す。
 私が4歳ころだった。母が親戚の家に泊まりながら、農協の豆選別の仕事でまとまった報酬を得て、住んでいた芽室町美生の亜炭炭鉱の長屋に帰ってきたのが年末だった。その時の私への土産がディズニーの絵本だった。うれしくて絵本の似顔絵を描いた。
 自分の特技が認められたのが、小学5年生の「夏休み作品展」だった。風景画を描いて提出したのが、最高点で評価された。漫画本を友だちから借りて読み、にがお絵コーナーに主人公を描いて応募し、3回ほど採用された。将来は「漫画家になりたい」と夢をみた。ストリーの勉強のために、学校図書室からSFや推理小説を借りて読み出した。
 中学生の3年間、私は新聞配達をしていた。仲間とともに映画館のチラシ広告を新聞に無償で折り込む見返りに月に1度は映画の入場券をもらい、新聞配達少年らは映画を観られた。時代劇や日活映画を観て私はときめいた。
読書と映画鑑賞は仕事に活かされたと同時に、人として成熟につながったと思い返した。
 働きながら夜学の高校へ通い、同時に米国のデザインの通信教育を受講していた。広告代理店などに勤め、やがてデザイン事務所を42歳で開業した。パソコンで絵を描き、文も打つようになった。デジタル化に向けて時代は大きく動き出した。私は営業に歩かない
自営業者だったが、役場の観光係長、印刷会社から仕事を次々と依頼された。特にイベントなどのポスター制作は「デザイナーの華」で能力を傾注して取組んだ。独立後に、デフレ経済がつづき、私も安さを競う社会に翻弄されていた。
 貧しい家庭に育ち、何かにおいたてられて仕事をしてきた。新規の仕事を断りリタイヤしたのが2年前だった。異業職にも勤めたが、自分の長所を磨いて活かした仕事人生でもあった。

◎プロフィール

〈心況〉TSUTAYA西帯広店が閉店になった。レンタルDVDで映画を観ていた。書店も閉店になっている。本と映画は私の「心のご飯」でした。ご馳走さまでした。

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