生きる意味
2024年7月29日
昨年の5月に私は「悪性リンパ腫」(血液のがん)で入院した。「がんステージ4」を医師から告げられた直後は、死神を近くに意識した。だからこそ私は、自分の魂と深くつながり、生きる理由を考えた。
あれから約一年が過ぎた。治療の成果があって、3月の胃カメラ検査で病巣はなくなった。採血検査では「数値は問題ない」と担当医から診断された。
そんな心境下にあるとき、NHKのEテレで「それでも人生には意味がある」ヴィクトール·フランクルの人生と思想を紹介する番組を視た。ナチスの強制収容所を生きのびたユダヤ人の精神科医フランクルの人生と思想を勝田茅生(日本ロゴセラピスト協会会長)氏が解説した。
収容所とはナチス政権のユダヤ人に対する国ぐるみの迫害·虐殺の場である。ユダヤ人収容所はポーランドなどヨーロッパ中に2万カ所もあった。ナチスに捕らえられ収容所に送られたフランクルは「これほどの試練を受けるには何か意味がある。何かが僕に期待している」と人が生きる意味を見いだすのに手を差しのべるための心理療法を培った。
ある日、現場監督(被収容者でない)がフランクルに小さなパンをそっとくれた。監督が自分の朝食から取りおいたものとフランクルは知っていた。「それは、あの時この男がわたしに示した人間らしさだった。人間とはガス室を発明した存在だ。しかし、こうした例外こそが人間には必要です。理解し、許し、和解にいたるためには」(「夜と霧より)。
強制収容所から解放され、その収容所体験が発刊されると、フランクルには講演依頼が殺到した。自由で豊かな時代になったが、実存的むなしさを抱く人々が現われた。
フランクルは「自分の問題だけの鏡を見ている。自分以外には素晴らしい世界がある」と示唆する。向こうから幸運がやってくるわけでなく、「自らを教育し、良心を磨く。そのためには意味を受信するための感度のよいアンテナを立てて」と説く。
人類の悪徳の戦争·アウシュビッツの歴史に私が目を向けたのは、がんを患った自分からの「自己距離化」だったと思えた。
◎プロフィール
<心況>(よしだまさかつ)
見返りを求めず、相手が喜ぶことをする。すると自分も満たされる。愛の人フランクルの言である。