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エッセイSP(スペシャル)

老いを生きる

冴木 あさみ

2024年10月 7日

 父は今年米寿を迎えた。母が他界してから暫く一人暮らしをしていたが、持病のため毎日の見守りが必要になり、サービス付き高齢者向け住宅に引っ越した。略してサ高住である。私は一緒に住んでもいいよととりあえず提案はした。しかし仕事を持っているので日中父を一人きりにはできない。かといって妹が地下鉄を乗り継いで毎日父の様子を見に来るわけにもいかない。父妹私の三人の小さな家族会議で私との同居は却下された。
 親身になって相談に乗ってくれたケアマネージャーが、父にはサ高住がいいのではと提案してくれた。
 父は外面がよく、特に女性にはとても紳士的であり、好々爺を演じる。しかも、父の担当のケアマネは二十代で、女優のようなきれいな人だった。彼女の提案一つ一つに頷き感嘆し笑顔で答える父。横で聞いていた妹と私はあきれつつ、でも物事がトントン拍子に進むので彼女には心から感謝。かくして父はスムーズにサ高住に入居した。それから十年になる。
 入居して暫くは文句が絶えなかった。
「年寄りばかりいる」
「食事が不味い。野菜も煮たものばっかり」
 何を言ってんだ! あんた自身が年寄りでしょ、と心では悪態をつくが、私は優しい娘を演じているのでそうなんだ~と相槌を打つ。食事チェックも抜き打ちでさせてもらったが、野菜豊富で味も合格。問題は父のほうにある。米寿にして一本の虫歯も欠損もなく、二十八本全て自分の歯なのだ。噛み応えのあるものを食べたいだろうが、父以外の入居者はほぼ入れ歯であろう。本来褒められるべき健康な歯は、高齢者の集団生活の中では特異であり短所にさえ感じられる。
 ここにきて自慢のグルメ舌も難点である。高級店に限らず、隠れた逸品を知っていた。少年時代戦争を体験しているので、食への関心が強いのかもしれない。
 ある土曜日、十時半に父を訪ねて玄関を解錠してほしいとインターフォンで伝えた。すると「今から食事だから会えない」とのこと。食事時間までまだ一時間もある。でも、スタッフが迎えに来るから身支度もあるし時間がないと言う。週三日入浴介助、リハビリと看護師訪問が一日ずつ。それ以外の日程は特にないのだけれど、毎日忙しい。年を取ると時間が早く過ぎるのは、私も年々実感しているが、そんなに? 父は一日三食食べるのにも一日がかりになったのだ。
 老いていく父を見るのは辛い。仏教言葉で、避けられない人間の四つの苦悩を生老病死というが、とりわけ老いの苦しみはじわじわとして不気味なものがある。

◎プロフィール

〈 作者近況 〉さえき あさみ
最近こまめに血圧を測っている。最高値が百十から百四十をウロウロ。高いのか低いのかさっぱり分からない。

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