うず・・
2012年11月19日
押入れから『うず』と題された小学校の卒業文集が出てきた。「うずとは何事も巻き込んで力強く前進する」と校長先生の言葉が記されていた。担任の先生や同級生の顔が瞬時に甦る。それは十二歳のまま止まっていた。 さっそくパソコンで学校名、同級
鮮魚を買う
2012年11月12日
さる大手ショッピングセンターの鮮魚売り場で兄ちゃんや姉ちゃんが魚を下ろすのを遠目に見ていると、なんだか理科の解剖教室にも見えておもしろい。 周囲のステンレスの置き台には氷が敷き詰められ、たくさんのプラスチックの網皿にはそれぞれいろ
秋に聴く奥悩
2012年11月 5日
人は季節の影響を受けながら生きている。さまざまなありようにあってときには音楽に親しむこともある。それは季節感から促されるように何かに呼応するかのごとく聴こうとする曲もあるだろう。 しかしたとえば冬にベートーベン「交響曲第五番」など
開拓者・鈴木銃太郎
2012年10月29日
図書館で「鈴木銃太郎日記」を読んでいると祖父の名前が載っていて驚いた。百年ほど前に祖父中島和一郎と鈴木銃太郎が交流していたのだった。 鈴木銃太郎は明治十五年に依田勉三とともに、開拓適地を求めてオベリベリ(帯広)にたどり着いたが、勉
ひとりは自由
2012年10月22日
20年前に町の人材育成事業でアメリカ研修に応募して選ばれたことがある。2週間の旅行になるので勤めていたならば長期の休暇申請は無理になる。有給休暇をめいっぱい使い釣りにゆく「釣りバカ日誌」の浜ちゃんは映画の中だけの話だ。 私はその年
文庫の中に・・
2012年10月15日
書店の棚に文庫オリジナルの捕り物・推理が並んでいる。剣に鋭く頭脳が冴える同心、将軍の落し種や大名の遺児が活躍する「若さま」もの、家来の「龍さん、虎さん」を従えた水戸黄門の曾孫、遠山の金さんが異母弟銀四郎と「金さん銀さん」としてコンビを
あ、大変だ!
2012年10月 9日
健康上の理由から半年間ほど車の運転をしないようにと言われていた。そのため生業において出張などで廻るときは、母親に運転してもらっている。そのことでどんなに助かっていることかと思うと計り知れない。 が、正直言って本当は心許ないし、可哀
新聞を読む
2012年10月 1日
家では二紙購読しているが、そのうちの一つ「北海道新聞」について朝刊内容はそれなりに満足をさせてくれるに足りる重量感のようなものがあり、そして夕刊はそういったこととは別にとても愉しみなのだ。編集委員報告、音楽、文学、案外に科学欄などがと
深夜の帰宅
2012年9月24日
夜の勤務を終えたのが24時を過ぎていた。車で帰宅する途中だった。霧雨が降っていたので、ワイパーを低速でまわしていた。国道に向かっている、やや左前方の歩道を若い女性が傘もささずに歩いていた。 薄暗い歩道を若い女性が一人で歩く奇異さを
つながる・・
2012年9月17日
ホテルで荷物預けもそこそこに山の手の異人館から街並みを俯瞰し、明治の香り漂う坂道を下り港へ向かう。平清盛が拓いた神戸港は今も貿易の要である。公園の一角に大震災の傷跡が遺されていた。その夜は南京町で一献傾ける。 源平のおさらいは須磨